自分と向き合い日記

情緒不安定で落ち着きたいときに書く

最近のこと

最近は少し楽しいです。

上手くいっているかは別として。

 

生活リズムをなるべく改善したいと思っていて

朝は早く起きるとか

少しの運動をするとか

何も考えない時間を作るとか

ご飯を作るとか

早くお風呂に入る

落ち着いて寝る

とか割と当たり前に感じることが

いろんなことに追われる生活をしてると

あたりまえじゃなくなるんだよなーと。

 

この日記も書きたいと思うことも減ってきて、

そろそろ卒業かなと。

 

では、おやすみなさい。

あー辛い

今日もお疲れさま、自分

 

予定がある時は無理して働こうと思わないほうがいいね!自分を苦しめてるだけ。

 

あまり比べてはいけないけど、多分私興味ないからしょうがないんだと思う。差が出るのは。

もっと興味があって色々知りたいのなら、自分から学べばいいと思うけど、それよりももう体力がついていけてないから。

一旦本当は休んだほうがいいのだと思う。

休むっていうのは学ぶことをやめるとか何もしないとかそういうことではなくて、デジタルでいつもチカチカしたものと向き合いすぎているから、学び方を変えるということ、たぶん。

 

どうやるかはわからないけど、話を聞いてみるとか、今までの情報量で何を感じるかとか。

 

 

そうしよう。

 

 

犠牲と判断

特に疲れたわけでもない

思ったことだけ

自己判断はまあしてしまうし、それの方が楽だから。

誰かがやらないならやるしかない、それしかないから。

誰かに何か言われてからやらなきゃいけないことやるの好きじゃない、自分の意思じゃないし唐突だから。

正直自分のこともよくわからないのに、他人のことなんてわかるわけない。別に必要以上にわかる必要もないと思ってる。

ああまためんどくさいこと言われた、疲れる。

良かれと思ってやること言うこと、いらないって言われるから何もしたくなくなる。

なんかもう自分の人生なんなんだろうか。

疲れた。

○少しだけ。嬉しいこと○

本はやっぱり自分自身を違う世界に連れて行ってくれる。

読んでいる時、とても楽しかった。

私は(小説は特に)感情移入型なので

主人公、その周りの関係の強い人

ここらは心が揺さぶられる

大きくも、小さくも。

あっという間に時間が過ぎて

世界に包まれて

言葉に文章に乗せられて

進んでいく

夏独特のじめじめも

カラッとして突き刺さってくる暑さも

満員電車のベタベタと密集した空間も

どこにいても本の世界へ誘われていく。

それはとても清々しい気分で

ちょっとした優越感すらも感じる。

中学生のころの定期試験で

国語の物語文の得点が平均点以下で

それはそれは凹んだ。

本は好きだったし

人の気持ちはわかると思っていた私が

点数も低いうえに人の気持ちがわからないのか?と。

今思えばどうでもいいことも当時は

「国語」が「本」が「物語」が

嫌いになる原因には当たり前だった、単純だ。

これがあるのに本を読もうと思ったのは

妹が原因であり、父が原因であり

私の心も相当曇っていたのだろう

何はともあれ

「物語」は「小説」は「本」は

素晴らしいものだと気づくことができてよかった。

説明文は解くの得意なのに

読むの苦手。興味ないからだね。笑

言葉を発しないのつらい

物静かだといいつつ

口数少ないといいつつ

話したいことが無いわけじゃない。

特に月に1回くらいそういう日はくる。

(多分わかる人はわかる)

大切な日の前日だったり

何か大変なことがあった日だったり

面白いことがあったり

話したいことが山ほどあるのは素敵なことだと思う。

だけどそれをずっと聞いてるのは辛い時もある。

今日とか。

多分前にもあったけど

その時はちょっと心に余裕あったのかも。

こういう時は何してても

最後にはマイナスな考えに落ち着くし

自分のこの生きてきた

2022年の半年間ってなんだったんだろうと思う。

何か自分のためになることやったのか。

どうだろう。

それに今日

自分が勉強してることに興味ないことに気づいた。

図書館で勉強に関係ありそうな本を探して

タイトルで気になるものを手に取って

パラパラとページをめくってみて

何も考えず何冊かの本と15分くらい向き合ってたけど

心がワクワクすること、単語が、写真が、、、

何もヒットしなかった。

その時は悲しみを飛び越えて笑っちゃった。

嗚呼これか、興味ないってって。

何に興味あるのだろうか。

何のために後輩に時間使っているのか?

自分の成長に繋がっているのか?

私が学んだことって何だ?

先輩がいない分自分で調べることで

勉強になるのだろうけど

調べなくてもいいくらい簡単なことに時間が使われて

自分のための時間が溶けて無くなってる。

頭悪くなった感じ。

脱線したけど

もう少し気を遣ってほしいというか

もう少し話してもいいかなと

思うタイミングがほしいというか

もちろん体調気遣ってくれているから

そこはとても嬉しいし優しいなと思う

もう少し、話したい気持ちがあること

伝えないとなあと思いながら今日は我慢。

今日、明日の朝までが勝負だから。

はあ、もう少し自分の気持ちに優しく。

そして、自分の甘ったれた気力に厳しく。

お腹痛いし、早く寝るのが1番。

おやすみなさい

やっちゃった

やっちゃったなんて正直そんなもんじゃないと思う。

ダメだった。

多分私が良くないと思う。

でもってここで自分の意見を言う人は

もっと良くないと思うけど、今日はそうせずにはいられない。

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ずっと気持ち悪かった、夏バテで。

上向いても下向いても座っても立っても

寝転んでも他のことに集中しようとしても

ずっと気持ち悪かった。

話の最初はそんなにだった。

でも途中から睡魔と気持ち悪さに襲われた。

我慢した。

貫いた。

同じ言葉を繰り返されると

なんでか今日はすごく気持ち悪くて

吐く、とまではならなくても

何処となく胃の奥から込み上げてきそうだった。

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いつもの帰り道。

いつもの電車の中。

いつもの電話。

いつもの会話。

話の話題を振るのはとても不得意な私。

でも私だって話したいことはある。

与えられた話題の中で話を広げるのは

自ら話題を振ることに比べたら得意な方。

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いつもふと思う。

私が話せないことをわかってくれていて

話を振ってくれること。

気を遣って自分の話したいと言う欲を

抑えてくれていること。

だから共感できるし、意見もできる。

あんな言い方してごめんね。

いつもありがとうなのに。

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なんでそんなに話したいことがポンポン出てくるのだろうか、

尊敬している。

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話すことが怖い。

人とコミュニケーションを取ろうとすると

知らない自分になっている気がする。

と言うかなっている。

本当の自分は

もっと無口で

もっと話したい時に話して

もっと気を遣わないで

もっと自分に優しくしたい。

でももうやり方がわからない。

"初対面の人、知り合いくらいの人、腹を割って話せない人"

に対して切り替わるスイッチが自分中であるとしか思えない。

それを押すと

大切な人を無視してしまったり

いらない精神を削ってしまったり

人にいいように思われたくて猫をかぶって、

、、、、。

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嗚呼、今日は久しぶりの涙。

最近幸せだったのかな、よかった。

明日絶対目がパンパンだよ。